再び目の前のものに感動します。宇宙全体から地球を見る(人間の視野の及ぶ所になったと考えて)、宇宙全体からこの桜を見る、そして自分の目で桜を見る。この位の視点の切り替えをしてみると、いくら近くのものばかり見ていようが、全くとらわれていない気になります。宇宙と目の前のもの。極端な例をあげましたが、つまり。各個人がもつ「視点・世界観」、いろんな本の著者の言葉についてですけど。
話を聞いたり、本を読んだり、映像を見て覚え、実際に見た気になっているもの!自分の周りには、~らしいよ!という自分の目で実際に見てないものだらけなことに気付きます。~らしいからくる「視点・世界観」を信じること、「想像」、すなわち、とらわれる!なのかな、と。想像の宇宙より、目の前のさくら。
いいにおい、綺麗、こころ温まる。この目の前に実際にあるものに対する気持ちは、その距離と関係なく、とらわれていない。
いいにおい、綺麗、こころ温まる。この目の前に実際にあるものに対する気持ちは、その距離と関係なく、とらわれていない。
あとがき。
本を読み終わった時にその世界観から抜け出せずに、目の前のさくらがちっぽけに見えた。なんだ、みんなお花見なんてして、とらわれてるな~って。逆だった。
~らしいにかこまれた世の中、目の前に咲く桜はきれいだった。理欲からくる信じやすい「目」。
「信じる」と「参考にする」の区別、そのバランスが大切。なのかな?考えは進化するのでよくわからないっす!!!!!だははははは
としゆき。
0 件のコメント:
コメントを投稿